子どもの何気ない一言はナイフよりも鋭い
最近は何でもかんでもハラスメントという言葉が使われ
たった一つの言葉で、人生がガラッと変わると言いますか
それまでの人生が全部、意味がなかったかのように
まるでリセットできないはずの人生を悪い方向にリセットされる
そんなことになりかねない時代です。
セクハラなんてのは、(ただしイケメンはのぞく)という言葉が
語尾につくくらいのレベルで、ちょっと声を掛けただけで
少し頭が寂しいとか、気持ち悪いとかだと、セクハラ扱い(´・ω・`)
ハラスメントってのは、お互いの認識が……ということではなくて
”受けた方が、どう感じたか”というのが問題になるので
外見のビハインドが人生を左右してしまうんですね。
こんな時代に誰がした!!
大人社会はセクハラに翻弄され、子供社会はイジメに翻弄される。
子どもは純粋ですからね、その一言でどれだけ人を傷つけるか分かってない。
特に、小学校低学年くらいだと、何気ない一言で
人の心を、鋭利な刃物で刺すように、えぐってくることもありますよね。
そういうのが昨今のイジメ問題にもあるんじゃないのかな。
そりゃ双方がイジメという認識を持っているイジメが多いだろうけど
イジメなんて意識がなくて、からかいの延長とか
何の悪気もない一言だとか、自分の好き嫌いとか
それを表に出したことによって、イジメにつながることもあるような気がする。
そんなことを考えたのは先日1作目を読んだ『おくりびと』の続きを読んだから。
(記事も書きました:自分の大切な人の最期をボクは見守れるだろうか。)
映画のノベライズ本だったので、それで完結したと思っていたのですが
1作目の7年後を描いた作品『おくりびと 第二章 』を見つけてしまいました。
どうやら映画ではなく、舞台になったようなんですが
ボクは映画も舞台も観てないので、表紙のお二人が何者なのか
一切、分からないまま読むすすめております。
というか、読み終わった今も、この二人の配役がピンと来ていません。
もしかして、配役が変わったのか?
前作で、納棺師になった主人公の大悟は最後に父との別れを遂げましたが
今回は今回で、また出会いと別れを経験することになります。
大悟の息子が、父親が納棺師であることで、イジメられるんですが
正直、ボクも小学校低学年くらいだったら、イジメに加担してたかもなぁ。
ということで、冒頭の文章を書いた次第です。
定期的に、こういう本を読むことで、近くにいる人を
友達だと呼べる人を、何の因果か出会った人を、大切にしたいと
そんなことを想う影響されやすすぎ人間でした。