なぜ彼は彼女を殺さなくてはならなかったのか、死ななくてはいけなかったのか。
いつだって狙われるのは弱者で、損をするのは正直者で、苦しむのは優しい人だ。
街を歩いていて、小柄で細っこいボクと屈強な男性が目の前から歩いてきて避けれない状況だったとしたら。
確実に、目の前から来る相手はボクにぶつかってくるだろう。
それは、ボクにぶつかった方が自分のダメージが軽いからだ。
しかし、その結果、ボクは凄まじいダメージを食らうのだ。
だから、小柄なボクは何も悪くないのに、ぶつからないように避け、一方的にぶつかられてダメージを食らう。
最近は、ぶつかる可能性があるなら弱い人ではなく、強い人を狙っている。
たとえば男性と女性が前方から歩いてきた場合、男性とぶつかった方が、ボクの心が痛まないからだ。
ボクは幼少期、親を殺したいという衝動にかられたことがある。
あまり幸せな家庭ではなかった、暴力を受けていた、だから恨んでいた。
でも、ふと考えて、そんなくだらないことをして、ボクの人生を頓挫するのもバカらしいと気づいた。
嫌いな人間を殺して、ボクの人生を潰すなんて、バカらしい。
それなら、親たちがボクに適わないような人間になって、見返してやろうと思った。
そして、ボクのように苦しんでいる人間を助けるために、学校では人気者の地位を奪い取った。
人気者になると、人間は自分の思い通りに他人を動かして、誰かを苦しめることが楽しいと感じるみたいだからだ。
現に、ボクがクラスで嫌いだった奴は可愛くて、優等生で、クラスで人気があって、裏で「あいつブスだから」と同級生を不登校に追い込んでいた。
なんで人間は誰かを傷つけないと生きていけないんだろうか。
容疑者がひきこもり状態だった事がわかった川崎殺傷事件。
ひきこもり当事者団体が、ひきこもりと犯罪を関連付けるような報道に声明文を公表しました。
「たまたま事件を起こした人がひきこもりだっただけ。犯罪を犯したということと、ひきこもりをつなげて考えないで」https://t.co/8fKNFnpgsc
— ハフポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2019年5月31日
困った人を助けることはできないんだろうか。
そう考えること自体が傲慢なんだろうか。
日本にいると、毎日の長時間労働に忙殺されて、余裕がなくて、ストレスで他人を傷つけてしまう。
そんなことに、ボクは海外に来てから気づいた。
海外でも仕事中なんかは特に時間に余裕がないとき、心に余裕がないときは確かにある。
それでも、街中で誰かに道を譲る余裕くらいはある。
周りにいる人を傷つけない努力をする余裕くらいはある。
そういう余裕がない社会ってのが、諸悪の根源なんだなとボクは思う。
願うことならば、川崎の事件の彼には自分が苦しいから、誰かを苦しめたいとか、そんな気持ちを持ってほしくなかった。
自分が苦しいとき、周りが幸せそうに笑っていると、なんというか憎悪が芽生えるときもある。
それでも、その幸せを壊すことで、自分の苦しみは消えないってことに気付いてほしかった。
苦しいが続くと、人間は余裕がなくなる、どんどん余裕がなくなる。
他人を傷つけることで、優越感を一時的に得ることは出来ても、もっと苦しくなっていく。
なぜ彼は彼女を殺さなくてはならなかったのか、死ななくてはいけなかったのか。
それはボクには分からない。
でも、この事件をきっかけに、社会問題としての”引きこもり”や”孤立”を考えられたらいいですね。
もちろん亡くなった方、ご遺族の方が、未来を奪われたことは、本当に悲しいことです。
それについては、どんな言葉を書いても、綺麗な言葉を書き連ねても、軽くなってしまうので、何も書きません。
みんな幸せになればいいのに、って願うのは傲慢だろうか。