//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js

日下部まめのプロフィール


Contents

プロのぼっちを名乗る日下部まめのプロフィール

広島にて誕生

広島と言えば、原爆ドーム(平和公園)、厳島神社(宮島)、広島東洋カープ。

そして『仁義なき戦い』のおかげで全国から恐れられる中四国最大の都市です。

よく観光客から「思っていたよりも小さい」と言われる世界遺産の原爆ドーム。

幼少期

習い事ブームの時代、1歳からスイミングスクールに通い、5歳からピアノ教室に通う。

好きな遊びはジグソーパズルと、ブロック(レゴではない)、読書。

幼少期から、ぼっち遊びにはまることで、プロのぼっちを極めてきている。

 

小学校時代

第一次反抗期を迎える。

体格が小さいことを理由にいじめられるも、やり返しまくる。

負けず嫌いの性格で、先生だろうが誰だろうが間違っていると思えば、言い返す。

今も、その性格は変わらない。

小学校時代は典型的な人気者体質でした。

この頃が最大のモテ期で、なかなか充実してい……

当時は、大変でしたが、今となっては、良い思い出の方が多い気がする。

 

中学時代

実は当時、地元の小学校、中学校が不良やヤンキーの巣窟でした。

尾崎豊よろしく(時代は全然違いますが)「盗んだバイクで」

(中学校の)「窓ガラスを割りに」くる卒業生。

万引きが多すぎて、近くのコンビニで制服での入店が断られる。

という状況下、親が懸念して、ボクは私立の女子校に行くことに。。。

今思えば、この時代が苦しくもあり、最高に楽しく、色々なことをした場所でした。

ボクが通うくらいですから、お嬢様学校ではなく、半分くらいがギャルとかヤンキーで。

結構、浮きまくりで、ぼっちでした。

元々ぼっち大好きなので、無視されるのは気にもならない。

 

高校時代

女子ばかりの世界から離れて、一転、今度は男子多めの理系クラスに入学。

ここで女子校時代のキャラのまま突き進んでいたら、男子から嫌われる。

まぁ別に嫌われるのは特に興味がない。

そこまで頭が悪い学校ではないので、手を出すとか、そういうことはない。

大体、陰口か、こそこそ笑われるか、無視されるか。

 

正直、経済的余裕もなく、勉強も好きではなく、卒業後は就職(公務員)を希望。

進学校なので、一応、模試を受けて、理系なので医学部なんて書いて、E判定ばかり。

高3の夏、みんな受験勉強も佳境というときも正直、文系の子に数学を教えていたくらい。

しかし、親に進学しろと言われ、高3の10月から受験勉強を開始。

どうにかこうにか県内の大学に合格。

 

大学時代

大学に行きたくて、来ているわけではないのに、自分で学費を支払う苦学生。

授業についていけない落ちこぼれ。

単位落としまくりで、中退も考えたが、留年しつつも、どうにか卒業。

 

大学卒業、ニートになる

2009年のリーマンショックの影響もあり、留年かつ社会不適合者のため、ニート。

この間に、レールを外れても生きていく方法などを見つける。

イケダハヤト(@IHayato)さんに出会ったのも、この頃。

ということで、ブログで稼ぐ方法などを模索するも、なかなか独自性が出せず飽き性のため、続かず。

 

卒業から1年、どうにか就職する

どうにか一度は道を外れた人間が地元零細の設計会社に就職。

一人で黙々と、図面を描いたり、モデルを作ったりする仕事が性に合ったらしく、社内での存在を確立していく。

変わり映えのしない仕事、残業続きの日々、セクハラパワハラ、周りとの価値観の相違。。。

人生でやり残したことを考えた結果、海外に行ってみたいと考えるようになる。

ここで、ワーキングホリデーの存在を知り、詳しく調べる。

 

再びニート、からの一大決心……海外逃亡

2017年7月。

満を持して、ワーキングホリデーでカナダに飛び立つ。

初めての海外でワーホリを選ぶ度胸がヤバいと言われる。

バンクーバー⇒カナディアンロッキー⇒ウィスラー⇒ビクトリアと西海岸の4都市を働きながら移動し、楽しむ。

この1年間で、日本での30年間で得た常識を綺麗にくつがえされる。

日本の教育、新卒、正社員制度など様々な存在に疑問を感じ、日本で生活することに不安を覚える。

まだ海外で暮らしたい、働きたいという思いで、イギリスでのワーホリを申し込み、抽選に当選する。

 

イギリスで、人生の厳しさに直面する⇒コロナ

人種差別の酷いイギリスで、日本食料理屋などを転々としながら、生き延びる。

カナダでの楽しかった海外生活から一転、海外の嫌な面を突き付けられた日々。

……そして、コロナ。

ワーホリビザ2年のところ約半年を残して、帰国。

 

プログラマ目指してたら、愛知にいた

30代前半からのジョブチェンジ。

ワーホリ帰国後、尊敬していた祖父が亡くなった。

自分のやりたいことをやろうと、また思い立った。

稼げそう、カッコいいという不純な理由だけで、プログラマ(SE)を目指す。

しかし、ワーホリで一度ドロップアウトした人間に、世間は冷たい。

そして、ワーホリとのギャップで、全くやる気のない就活。

面接の交通費を出してくれるというので、縁もゆかりもない愛知の会社へ。

奇跡的に、採用されたので、流されるままに、愛知にて就職。

 

そして、フリーランスになっていた

採用してくれた恩義はあるが、納得のいかない仕事内容。

元来のワガママな性格で、1年半で会社を飛び出した。

どこまで運がいいのか、フリーランス営業に、仕事を斡旋してもらった。

でも、仕事ができるわけじゃない。

プログラムもまともに書けない、SEとして能力がないと思っている。

 

でも、どうにか続いている。

紆余曲折、行き当たりばったりの人生。

これまでも色々あった、今後も何があるか分からない。

一年後も、今の仕事をしているか分からない。

それでも今それなりに収入があり、仕事が途切れず、生きている。

 


//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js