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日下部まめのプロフィール


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プロのぼっちを名乗る日下部まめのプロフィール

1987年、広島にて誕生

広島と言えば、原爆ドーム(平和公園)、厳島神社(宮島)、広島東洋カープ。

そして『仁義なき戦い』のおかげで全国から恐れられる中四国最大の都市です。

よく観光客から「思っていたよりも小さい」と言われる世界遺産の原爆ドーム。

幼少期

習い事ブームの時代、1歳からスイミングスクールに通い、5歳からピアノ教室に通う。

元々筋肉のつきやすい体質で、スイミングのせいで、150㎝で成長が止まってしまう。

ピアノ教室は先生と馬が合わず、さぼりまくる。

初孫ということで、某人形を一式そろえてもらうも、まったく興味を持たない。

好きな遊びはジグソーパズルと、ブロック(レゴではない)、読書。

幼少期から、ぼっち遊びにはまることで、プロのぼっちを極めてきている。

 

小学校時代

第一次反抗期を迎える。

体格が小さいことを理由にいじめられるも、やり返しまくる。

負けず嫌いの性格で、先生だろうが誰だろうが間違っていると思えば、言い返す。

今も、その性格は変わらない。

日本で生活していくにはあまり向いてないですね。

小学校時代は典型的な人気者体質でした。

勉強できる、運動できる、話が面白い、先生に歯向かっていく、昭和の小学生ヒーローですよw

この頃が最大のモテ期で、なかなか充実してい……

まぁ家庭内環境が最悪だったので、学校でバランスをとっていただけなのですが(´・ω・`)

卒業時の担任には「歴代の教え子の中で、一番の問題児」という称号をもらうほどの問題児でした。

中学時代

実は当時、地元の小学校、中学校が不良やヤンキーの巣窟でした。

尾崎豊よろしく(時代は全然違いますが)「盗んだバイクで」(中学校の)「窓ガラスを割りに」くる卒業生。

万引きが多すぎて、近くのコンビニで制服での入店が断られる。

という状況下、親が懸念して、そこそこの学力があったボクは私立の女子校に行くことに。。。

今思えば、この時代が苦しくもあり、最高に楽しく、色々なことをした場所でした。

ボクが通うくらいですから、お嬢様学校ではなく、半分くらいがギャルとかヤンキーで、いじめられてたわけですが。

いじめられても、やり返すのがモットーなので、言われたら言い返すのを続けていたら、無視されるようになりました。

元々ぼっち大好きなので、無視されるのは気にもならない。

 

高校時代

女子ばかりの世界から離れて、一転、今度はクラスの8割が男子という理系クラスに入学。

ここで女子校時代のキャラのまま突き進んでいたら、男子から嫌われるようになりました。

まぁ別に嫌われるのは特に興味がない。

そこまで頭が悪い学校ではないので、手を出すとか、そういうことはありませんでした。

大体、陰口か、こそこそ笑われるか、無視されるか。

みんな時間の無駄遣いをしているなーと思いつつ、適当に友人と仲良くやっていました。

部活は友人に誘われて、演劇部に入るも、些細なことで喧嘩して、1年の途中で退部。

体育担当の先生に誘われ、陸上部に所属するも、練習嫌いのため、2年の春に退部。

 

正直、我が家は経済的に恵まれていると思っていなかったので、卒業後は就職(公務員)を希望。

進学校なので、一応、模試を受けて、理系なので医学部とか薬学部を書いて、E判定ばかりもらっていました。

高校3年生の夏、みんな受験勉強も佳境というときも正直、文系の子に数学を教えていたくらい。

受験勉強なんて、真面目にしていませんでした。

しかし、親に進学しろと言われ、高3の10月から受験勉強を開始。

どうにかこうにか県内の国公立大学に合格。

元々勉強は嫌いじゃなかったというか、勉強を遊びとしてとらえるのが得意でよかった(笑)

 

大学時代

大学に行きたくて、来ているわけではないのに、学費を自払い、授業にもついていけず状態。

2年生でのコース分けも学力の問題で、自分の希望通りに行かず、大学に行かなくなる。

大学を辞めようかどうしようか悩むも、とりあえず卒業する方向で考えるも行く気が起こらず、単位を落としまくる。

 

大学卒業、ニートになる

2009年のリーマンショックの影響で大卒でも派遣社員が増える中、ボクが就職できるはずもなく、ニート。

この間に、レールを外れても生きていく方法などを見つける。

イケダハヤト(@IHayato)さんに出会ったのも、この頃。

ということで、ブログで稼ぐ方法などを模索するも、なかなか独自性が出せず飽き性のため、続かず。

 

卒業から1年、どうにか就職する

2013年、派遣会社の取り組みで、どうにか一度は道を外れた人間が地元の小さな設計会社に就職。

一人で黙々と、図面を描いたり、モデルを作ったりする仕事が性に合ったらしく、社内での存在を確立していく。

2014年春、入社1年足らずで、すでに将来会社を背負う人間になってほしいと期待され経験を積むため、出向。

しかし、ここで様々な問題にぶつかり、挙句、女性のほぼいない部署で、セクハラに遭い、憔悴。

2015年春、耐え切れず退職届けを提出し、慌てた上司と面談、出向先から会社に戻る。

2015年11月、大学1年生のときから応援していた声優、松来未祐さんの死を機に人生を考え直し、退職届提出。

2015年12月、退職。

人生でやり残したことを考えた結果、海外に行ってみたいと考えるようになる。

ここで、ワーキングホリデーの存在を知り、詳しく調べる。

 

再びニート、からの一大決心……海外逃亡

2017年7月。

満を持して、ワーキングホリデーでカナダに飛び立つ。

初めての海外(修学旅行でハワイに5日間行ったことはある)でワーホリを選ぶ度胸がヤバいと言われる。

バンクーバー⇒カナディアンロッキー⇒ウィスラー⇒ビクトリアと4都市を働きながら移動し、楽しむ。

この1年間で、日本での30年間で得た常識を綺麗にくつがえされる。

日本の教育、新卒、正社員制度など様々な存在に疑問を感じ、日本で生活することに不安を覚える。

まだ海外で暮らしたい、働きたいという思いで、イギリスでのワーホリを申し込み、抽選に当選する。

 

2018年8月、帰国。

2018年10月19日、渡英。

 

イギリスで、人生の厳しさに直面する

ロンドンで6日間だけ過ごした後、イギリスの(物理的に)中心であるリーズに移住。

日本食レストランで働き始めるも、オーナーの暴言と人柄に絶望し、2か月で退職。

仕事を探すも見つからず、引きこもる ⇒ プログラマを目指す

2019年4月、ロンドンの日本人経営スタートアップ企業の、リモートでのアドミン職をGETする。

2019年5月中旬……ロンドンに移住予定。

(現在、過度の金欠により、節約生活を満喫中ww)


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