彼にとって、私は流れる風景の一部でしかなかった
比較的、映像記憶が得意なので
小学校から高校までのクラスメイトはおろか同級生の顔は
街中で一瞬、見かけても分かるくらいの人間です。
大学時代も学部の同級生は100人くらいいましたが
それに加えて、学部で付き合いのあった先輩、部活の先輩など
ある程度、関わりのあった人の顔は覚えています。
そのため、街中を歩いていると、一人気まずい気持ちになります。
気づいたところで、話しかけたりはしないので
自分は確実に気づいているけど、相手は気づいてるか気づいてないか分からない。
そんな意味の分からないドキドキに心臓の無駄遣いをしています。
ボクは問題児だったけど、地味な方だったので(矛盾?)
友達だった人とすれ違ったら、気づかれる可能性は高いけど
同級生で、あまり関わりのない人からすると
あの頃も、今も、彼らの背景なんだろうな。
別に、そこに悲しみを感じるほど思い入れがあるわけじゃないけど。
他人に興味がない人間で良かったと思う。
興味がないというよりは、どちらでもいいという感じですかね?
……どっちも同じ意味か( ゚Д゚)
ねむようこさん作品を読みたくて、読み始めた本だったんですが
原案は脚本家のなるせゆうせいさんという方が描いていらっしゃるので
ねむようこさんのオリジナルではない(ひどい言い様だな!)
それでも、ねむようこさんワールドが広がってると思ったんだから
ねむようこさんも、なるせゆうせいさんもスゴイ!
(ただ単に、ボクがバカだという説もある←)
行動が遅い子に「とろい」なんて言うのは、いじめになるんですかね?
ボクも比較的、不器用な方だったし、背はずっと小さいので
特に小学生のときなんかは足手まとい感を出してましたね。
中学生のときは身軽だったんで、文化祭の飾りつけで天井への取り付けを
誰がやるか揉めたとき、不安定な棚の上から掃除用具入れの上にのぼって
先生に怒られたっけな……のろくはないのか、ただの野生児だ(笑)
一緒に歩いてくれる人がいることがどれだけ幸せなことか
近くにあると、ボクたちは忘れてしまうけれど
友達でも、恋人でも、奥さん旦那さん、家族、同僚が
自分の傍にいてくれるってのは、とても幸せなことなんだなと
改めて気づける作品でした。
6人の漫画家さんのオムニバス形式だったので、色んな作風を見れたけど
やっぱりボクは、ねむようこさんの絵が好きでした。