今僕が歩む人生は、日々の無数の選択肢で枝分かれしたうちの一本にすぎないのだ。
ボクの人生がどこで変わったのか、この道を歩くことになったのか
それは分からない……生まれたときか?
幼稚園で、イジメられっ子を撃退したときか
小学校で、ガキ大将的な存在になったときか
中学校で、私立の女子校に進んだときか
高校で、理数科を選んで受験したときか
大学で、部活とサークルに明け暮れたときか
大学を2年も留年して、就職が決まらなかったときか
就活が上手くいかずに、死のうと思ったときか
さすがに鬱陶しくなってきましたね(´・ω・`)
仕事を辞めたとき、ボクの人生は変わったのかもしれない。
人生は一度しかないのだから、面白くない生き方をしたくないと
仕事を辞めたんだけど、今の人生が正解かといえば
面白くないんだから、正解なわけがない。
たまに、あのとき仕事を辞めていなかったら
もっと充実した生活を送れたんだろうか
そんなことを考えてみるけど、あのときの心の消耗は半端なかった。
だから、この先に何かあるように、ボクの人生を進めないといけない。
ボクが、この道に立って、進まないといけない。
そんなことを考えたのは、この本の中で三崎亜記さんの『街の記憶』を読んだから。
初めて訪れた街なのに、懐かしい感じがする。
まるで、自分が住んでいたことがあるかのような気持ちになる。
見かけた誰か好きだった人のように思える。
それはボクが今まで選んできた道を違う方向に進んでいたら
住んでいた街で、出会っていた誰かなのかもしれない。
街を歩いていると、たまに見たことがあるような、知らない人と
すれ違うことがあるけれど、それと同じ感覚なのか。
もしかしたら、ボクが違う道を選んでいたら、その人と知り合いだったのかも?
なんて考えると、すれ違う知らない人も親近感がわく
……え? この考え方、気持ち悪くない?
これストーカー気質じゃない? 大丈夫かしら?(自重します!)
今、小説を読んでいて、猿田彦というワードが出てきたので、珈琲(猿田彦珈琲って有名ですよね?)を思い浮かべたんですが、猿田彦というのは天狗のことだそうです。天狗珈琲……なんだか不思議な雰囲気がするぞ!
— 日下部まめ (@MameMrm) 2017年2月17日
というのが、この本の最初に出てくる光原百合さんの『帰省』という作品なんですけど
広島出身で、尾道大学で准教授をされている方なので
作中に広島弁が溢れていて、根っからの広島人としては読むのが楽しい。
このお話は、タイトル通り、広島に帰省してきた話なんですけど
尾道ベッチャー祭りという11月にあるお祭りが出てきます。
正直、こんなお祭りがあるのを初めて知りました!
その作品で、ボクがいいなーと思ったのが最後。
自分には元気であれ、幸せであれと祈ってくれる存在がいる。
いつでも、どこにいても。
それに気づいたというだけのことだ。
忙しかったり、辛かったりすると、忘れてしまうこともあるけど
こういのは胸の奥に、ちゃんと覚えておいた方がいいと思う。
さて、今日も頑張ろう(=゚ω゚)ノ