ボクたちは何かにすがりたくなる、弱い生き物だ。
宗教を信じるということ、すがることの何が悪いというのか。
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— ハフィントンポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2017年2月16日
若い女優さんが、幸福の科学で出家することが最近、物議を醸している。
ボクが驚いたのは、幸福の科学というのは出家する宗教だということである。
女優さんが出家すると聞いた時、どこかのお寺の娘さんなのか
もしくは、役柄やお仕事で関わったときに、宗教に興味を持ったのかと思った。
幸福の科学はここ10年くらいで、よく耳にするようになった。
大学の通学途中で見かけたのが初めてで、ボクの家の近くにもある。
数か月だけ職業訓練みたいなのでいたところで
一度だけ電話をしたことがあるけれど、礼儀正しいイメージしかない。
(ただの仕事電話なので、本質も何も分かっていないのだけど)
ボクらは宗教だと聞くと、自分たちの知らないものを胡散臭いと感じる。
怪しいと感じる、悪だと思い込む。
ボクは知らないものは知らないから、知りたいと思う。
それだけだ。
ボクたちは何かにすがっている。
一人でキッチリ立っているように見えたとしても
一人でキッチリ立っているつもりだとしても
複雑に交わった世界で立っている。
何かを信じれば、助かるという話をする人がいる。
たとえば体の不調に○○が効果的だとか
痩せたいなら、○○ダイエットが効果的だとか
そんな話が社会にごろごろと転がっている。
特に自分が困ったとき、ボクたちは誰かに頼りたくなる。
それが宗教だと、不思議そうな顔をして、軽蔑するだけなのだ。
墓参りに行くというのに、初詣に行くというのに……。
日本人は元々宗教にすがって生きていたというのに。
時代錯誤と言われれば、それまでかもしれないけれど。
宗教というのは明確に定義されている。
死んだら、悪い人は地獄へ、いい人は極楽浄土へ。
親より早く死んだ不幸者は、三途の川の石を積んでは崩されを繰り返す。
命は輪廻するから、生きるも死ぬも変わらない。
そんな考え方がキッチリ定義されて、普遍的だ。
キミの信じる隣の誰かなんかより明確で、論理的だ。
宗教団体は、誰かをだますことで荒稼ぎしているなんて悪く言われるけど
それで、救える存在がいるのならば、その人にとって、それは正義で
ボクたちが止めることこそが悪なのではないだろうか。
ボクも清水富美加さんのことは結構、好きだったけど
その彼女が間違った道に進んでいるよ、というのは妙な話だ。