デジタル社会の今こそ、握ったペンでノートに書き殴ってみないか。
最近はデジタル化が進んでいて、いつだったか見たCMで
小学1年生の朝顔の観察がデジタル化していくと知った。
毎日朝顔を観察しても、それをデジカメで撮るだけで終わりだ。
そこに感想や発見を書いていくことは書いていくわけだけど
なんだか違和感があるのは、ボクがやったことがないから
という単純な理由だけではないように、ボクは感じた。
ボクが小学生の頃というと、20世紀の話になる。
ひたすらに絵心のないボクが必死に描いた、あの絵は
実物ときっと似ても似つかないような代物だったけど
それでも、描くことで何かに気づいて、考えていた。
大人から見たら、それはくだらないことかもしれない。
今のボクからすると、そんなことで悩んでいるのかと言うくらい
どうでもいいことだったのかもしれない。
でも、そのとき「考える」を覚えたボクは
今までも、今からも、大切なことも、くだらないことも
真剣に考えていくだろうと思う。
今の社会は、スマホやパソコンで少し調べたら
何かしらの答えが出て、それが正解かどうかなんて
誰にも教えてもらえないまま、知ったような気持になって
それが嘘だとしても、知識が増えた気持ちになって
ボクらは毎日、歩いているのかもしれない。
正解かどうかなんて、どうでもいいのかな。
レコーディングダイエットで有名なオタキングさんの本です。
ボクはダイエットに興味を持ったことがないので
この本で初めて、オタキングさんのことを知りましたがw
タイトルにまず魅かれるわけですよね
凡人どころか落ちこぼれのクズ野郎であるボクが
天才になる可能性がある本なわけですから(; ・`д・´)
ちなみに、天才の条件は
1.発想力
2.表現力
3.論理力
このそれぞれに関して、高い能力を持ち、
それが高い主体性によって1つの人格にまとまっている状態
この本の中にも書いてあったのですが
こうやってブログを書く時も、頭の中だけで考えてしまうと
まったく話が広がらないんですよね。
パソコンに向かって書いているのと、手書きで書いてるのって
同じ「文章を書く」「考える」という行動も違うんです。
ボクは実感しているから、これは断言できるけど
この感覚は、実際に手書きで何かを書かないと分からないんじゃいかな。
今から、短編小説を書いて、新人賞に応募しようと考えていますが
ボクは思考を制限しないように、ノートに思いついたことを書き並べます。
書き殴ります。書きまくって、面白い作品を書きます。
キーボードを叩いているだけじゃ面白いものが書けそうにないから。