お金持ちが嫌いという人は多い。

それは自分がお金持ちという存在になれないと感じているから。

毎日、同じ時間に会社に行って、仕事をして、その繰り返しの中で生きている。

その生活を続ける自分の数年後の収入、生き様は会社を見回せば見当がついてしまう。

そうすると、お金持ちになれない自分の将来が簡単に見えてしまう。

だから、お金持ちはずるい、羨ましい、妬ましい。

 

その感情が嫌いという言葉になってしまう。

 

 

ボクは幼少期の家庭環境から、自分の感情を押し殺して生きてきた。

こんなツイートをすると、頭のおかしい人間かもしれないけど、これがボクの正直な感情だ。

だから、正直に自分の感情を出して、人生を楽しんでいる人を嫌いだと感じる。

 

昨日、職場の20代の女子学生3人とランチを食べに、大学の学食に行ってきた。

先日そのうちの1人と遊びに行ったのだけど、彼女はほとんど話さなかった。

それで、終始、僕が話し続けていたんだけど、つまらなかったのかなと悩んでいた。

それで、昨日「“何か話すことある?”って聞いたのに、何も話さなかったよね」と確認した。

すると、彼女は「ずっと勝手に一人で話してるから」と答えた。

 

ずっと勝手に一人で話してるから

 

ボクは彼女のその言葉に、彼女の人間性を見た気がした。

彼女は間を埋めるために、少しでも楽しんでもらうために、話し続けていたボクをそう捉えていたのかと。

彼女はその言葉を誰かに発することに対して、罪悪感も感じないのかと。

だから、もうボクは彼女をシャットアウトしてしまった。

ワガママなのかもしれない。

今まで感情を抑圧してきたボクだけど、これくらいのワガママは許されるだろうか。

この言葉がボクを傷つけたと感じたことは、ボクの感情抑圧を少し緩和させただろうか。

 

そして、ボクは改めて言葉選びには慎重にならないといけないなと感じた。

言葉というのは、簡単に今までの関係を崩してしまう。

信頼関係を築く過程で、その関係を崩してしまうと、再構築するのは難しい。

ボクにとって彼女とは同僚という存在でしかなく、食事に行こうとは思わない。

 

彼女の自由奔放な発言や行動を羨ましいと思う反面、可哀想だと思う。

可哀想という言葉は、他人を憐れんだ言葉だ。

だから、ボクは可哀想という言葉を使うのも、使われるのも嫌いだ。

でも、あえて彼女に使いたい。

あの言葉を発しても許される環境にいたのであれば、本当に恵まれていて、可哀想だ。

 


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