人によって、友達の定義は違うし、生まれや育ちが大きく関係してくると思う。

今、ホームステイ先に南米系の女性がいるんだけど、ボクと考え方が全然違う。

 

彼女たちは、会った人はみんな友達という考え方。

合う合わないとかではなく、話したら、もう友達という感覚。

ボクも正直、彼女たちに助けられている部分がある。

「今日の放課後、予定はある? ●●に遊びに行くんだけど」

(Do you have plans today’s after schol? We will go to ●●)

大体、その日の朝、朝食をとるときや一緒に通学するときに聞いてくれる。

朝、予定を決めていなかったとしても、放課後、聞いてくれることもある。

 

最近は、だいぶ慣れてきて、1人で行動することも増えてきているけど。

最初の頃は、どこに行くのも不安だったので、本当に助かった。

今でも、学校で見かけると声をかけてくれて、誘ってくれることもある。

正直、バンクーバーの夏の風物詩である花火大会も誘ってもらわないと行かなかったと思う。

それから、プライドパレードはボクから誘ったのだけど、ついてきてくれた。

 

 

 

でも、ボクが彼女たちを友達と呼べるかといえば、それは違う気がする。

こちらには日本人も多いので、何人かは友達みたいな存在はできた。

語学学校が一緒の子は結構、声をかけてくれるし、遊びに行くこともある。

それでも、ボクは彼らを友達とはまだ呼べない。

 

 

ボクにとって、友達とは自分のペースに合わせてくれる人間のこと。

そして、ボクも相手のペースに合わせるのが苦ではない、そういう存在。

人はそれぞれ興味関心の方向が違うし、一緒に買い物に行っても、見るものは違う。

それでも、時間を共有したいと思うのが友達

ボクは知らない土地にもかかわらず、1人でいる方が楽だと考えてしまう。

それはボクの精神的に幼稚な部分が誰かに合わせるのを拒否しているのかもしれない。

 

 

最初から居心地のいい場所なんて、この世界にはきっと存在しない。

それでも、ボクは誰かと行動するよりも、1人で行動する楽しみを満喫している。

誰かを誘うことに気を遣っているのかもしれない。

自分が行きたいところに、誰かを付き合わせるのは苦手だ。

 

 

 

カメラ片手に独り歩き、今日はどこへ行こうかな。

カナダは一人でも安全に歩けるところです。

ただ一部ダウンタウンにも危険ゾーン(チャイナタウン)があるので、そこには行ったことがありませんが。

 

 

バスはどこまで行っても一律料金な上に、バンクーバーを網羅しているので、オススメの交通手段です。

無料アプリの『Transit』はWi-Fi環境になくても、自分がいる場所の近くにある公共交通機関も見れます。

そのバスや電車の運行状況や路線も見れるので、超便利です。

 

こんなボクに、友達と呼べる存在が来る日はあるのか?

怖いもの知らず(というか、ただのバカ)で、1人が大好きなボクに友達はできるのか。

はたまた友達は必要なのか?

 

ただ、たまにでも一緒にいられる存在というのは、とてもありがたいし、心の拠り所になります。

特に、初めての海外ではね。

 


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